おもちゃばこ

(昔私の入っていた会の名前がフォークソング愛好会、フォークしてた時のグループ名)


ある日、ふと新聞の番組に目をやると

・・・・フォークの達人(平成19年にNHKで放送されました)・・・・・

フォークか・・・・?食べる道具のフォークの達人て可笑しいよな・・

何をするんだ、フォークで・・・・・・・・・

それが、あー・・・・なんと私の好きな音楽のフォークではないか・・

それも最初の出演者が遠藤堅司とは、また、なんで・・・・なんでーーーー

みなさんも・・・なんでーーーーーーでしょう・・・もっと他にいたんじゃ

第一回がーーーーー、、えーーーーー・・・・・・・・

テレビ出ていいんだろうか・・・・

公共の電波で流していい歌か・・・・・・

 

二回目は小室 等 氏で、これにはほっとしましたね。

内心、次が「なぎら健壱」ならどうしようと(ちょいと、期待したが)・・・

小室さん、いいですね。

今でも渋い声・・聞き入ってしまいます。

まるで六文銭ようにがよかった

比叡おろしが聞きたかったな。

 

その事がきっかけで、ネットでフォークと検索かけてみると

なんと・・・あの・・アエラが・・フォークの特集の雑誌を出してるじゃありませんか

 うきうきで、本屋に走りました。

その名も【「AERA in FOLK」あれは、ロックな春だった】(アエラ臨時増刊号No16 4/5号)

表紙に私に好きな拓郎が、この写真はフォークジャンボリーだろうな

私にとって懐かしい話が満載60年代末から70年代の日本のフォークと

ロックを特集した雑誌です。

記事を読んでいくと、・・・・・・あーあーあの懐かし春一番コンサートの写真が、

・・・・・・・・・・・真ん中の福岡風太氏も・・

彼は、颯爽とアポロキャプにレイバンのサングラスで会場にいたな

 

・・・あのころ私は・・・

・・・あーーー私の青春の1ページ・・・・・・

・・・・春一番・・・春一番か・・・・

・・・・それは・・・・・・

・・・・天王寺野外音楽堂の後ろの堅いコンクリートのベンチ・・・・

・・・・・・・・臭くて汚かった便所・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・土埃の舞うコンサート・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・アーあの時、私もこの場所にいたのだった。・・・・・・・・

 それは、大学入って初めての春、昭和51年5月でした、

奈良の吉野の田舎から出て来て右も左もわからない時に、

フォークが好きで、歌がすきで、ヤンタンなどでラジオでしか

聞けない有名シンガーが多数出る。

春一番コンンサート それが身近に見れる機会が訪れたのです。

・・・・わくわく・・どきどき・・・・・

どこでコンサートを知ったのか記憶には、ありませんが

きっと深夜放送だと思います。

あのころは、お金もないし、暇だけあったな。

 そのコンクリートのベンチで一人座ってコンサート聞いてましたね、

お亡くなりなった、高田 渡 氏も、遠藤堅司も出てましたね、

若い女性がワーっと前に行ったような記憶が、

曲は当然・・・・カレーライス・・あの時から飛んでたのか・・・・・

あの上田正樹も、お○こ、お○こ、と連発してたのが印象的だった。

 あの時あの場所で、ふと春一番コンサート会場を見回すと、

どこかで見た人が座ってるんですね、それは私より二つ先輩で、

同じ高校出身の同じ吉野の人ではありませんか、

・・・・・なんと奇遇な、こんな場所で会うなんて・・・・・・・・・・・・・・・・

同じ高校だったんで、顔だけ覚えてました。向こうも覚えていてくれたんで

 彼らとの出会いで私の学生生活はガラっと

ガラットじゃなく大きく変わって行くことなります。

彼らに、合わなければ、私の人生は変わっていただろうと

・・・・・そんな出会いでした・・・

・・・・「よー、フォークやってるの」・・「はい」・・

・・「なら、2ヶ月に一度、集まって吉野の会館でコンサートしてるから弾きにおいで」・・

これがきっかけでした。

人前でするからにはと一生懸命コピーしなくっちゃ・・・

・・・フィンガーピッキングも自分でレコード聞きながら、・・・

・・・・・・こーか・・・あーか・・・いや違う・・・・やっぱりこーだ・・・・・・

・・・ブルースハープのハーモニカも当然やりましね・・・

・・・・・・・ホルダーも付けて・・・・・・・・

 初めて行ったのが山崎会館だった、階段上がった2階でした。

家からも歩いて10分もかからない場所で、こんなところでと

でも会館といっても、町内の集会所と言った方がよかったかな

そこで吉田拓郎の旅の宿を歌いましたね。

はっきり覚えてないんですが、その会の主旨は、フォークやってる同士、

みんなで発表できるコンサートを作ろうと出来た会だった、

機関誌も制作してたな。 

それから、2ヶ月ごとに参加することになり、一緒のグループに

入らないかと、その名も「おもちゃばこ」それから

一緒に行動するようになり、練習も、遊びも、

・・・・・・・・おもちゃばこ・・・なつかしい響きです。・・・・・・・

 

                                           つづき書きました。

 

                    管理人の若き日の思い出

                       昭和29年3月生まれ

                        中学時代にベンチャーズ、加山雄三が流行った

                        中2の時、帰ってきた酔っぱらいが流行る

                        高校1年 3年を送る会で同級生3人(男2、女1)

                        イムジン河を歌う

                        ビートルズのヘイジュードが流行る

                        高校から千里の万博に

                        高3 文化祭でエレキバンドと

                        別に フォークバンドも出演

                           遠い世界に 他

                        エレキバンドでやった曲

                           ストップ・ザ・ミュージック

                           ビーナス 他

追伸、

友人から、この本面白いよと、著者 中村よお 「関西フォーク70’Sあたり」この本もあの頃のことが

びっしり載っています。

関心ある方、出版社に直接注文するといいですね。(幻堂出版